不良少年が日本をまとめあげる
『男一匹ガキ大将』の概要
昭和44年(1969年)9月29日から1970年3月28日まで日本テレビ系で放送されました。(156回・全26話)。
本宮ひろ志が少年ジャンプで連載した人気漫画をアニメ化したもので、本宮ひろ志の名を世に知らしめる作品となりました。
昭和46年(1971年)には、映画が公開されています。制作は「座頭市」で知られる勝新太郎の勝プロダクションで、勝新太郎や本宮ひろ志も出演しています。
『男一匹ガキ大将』のあらすじ
戸川万吉は、乱暴者だが根はやさしい西海中学のガキ大将。
地域の番長たちをなぎたおして子分をどんどん増やしていき、いつの間にか関西で千人を超える子分を持つ親分になります。
万吉は東京へ向かい、軍師となる光五郎や日本政財界の影の大物 水戸のオババ、全日本浮浪者の総大将 カスミの大三郎などと出会います。
万吉は横暴な国家権力や悪の黒幕を知り、自身も力と金を得て対抗することを決意し、日本中の不良を従える総番長となって巨大な権力に対抗していきます。
覚書
不良崇拝の原点
いわゆる任侠映画、ヤクザものと言われる作品が1960年代後半から70年代初旬ブームとなっていました。
当時は、ベトナム反戦や大学共闘などが盛んな時代で、任侠映画はこの風潮に乗って国家や警察の権力とそれに擦り寄る新興ヤクザを悪とし、古き良き共同体を守るやくざ 高倉健、鶴田浩二といった東映のスターたちが悪に立ち向かっていく構図が、団塊の世代といわれた当時の”若いもん”に強烈に刺さりました。
映画館は連日満員。つめかけた観客たちはスクリーンの健さんに声援を送り、警察や新興ヤクザに大ブーイングを送りました。映画を見終わって出てきた観客たちは皆、肩をいからし肩で風を切って帰って行きました。
その風潮は漫画、アニメの世界にも波及して、子供の世界にも不良、硬派、バンカラが権力に反抗、対抗する物語が出てきました。「男一匹ガキ対象」はその嚆矢となった作品でした。
本宮ひろしは、以後もその路線をつづけて「硬派 山崎銀次郎」「男樹」「天地を喰らう」などの硬派路線、その後、硬派の色合いを抑えながらも不良や巨大権力への対抗意識を残した「サラリーマン金太郎」「俺の空」「大いなる完」などを制作しています。
そして、不良はカッコイイという認識が日本中の子供達に植えつけられていていったわけです。
明石家万吉と戸川万吉
男一匹ガキ大将の主人公 戸川万吉。名前や言動から明石家万吉の影響を受けていたように思います。本宮ひろ志は、後に明石家万吉を主人公にした『幕末紅蓮隊』(2013)も描いています。
明石家万吉(小林佐兵衛)は、幕末から維新にかけて名を馳せた浪華の大侠客で、北浜の米相場の高騰を抑えるために不正を黙認する会所の打ち壊しや、奉行所の役人と結託して砂糖の密輸入で巨利を得ていた悪徳商人たちを糾すなど、「弱きを助け強きを挫く」義侠の一生をつらぬきました。
維新の動乱中には、播州小野藩に泣きつかれて藩士となり、小林佐兵衛と改名して「御用盗」(攘夷志士をかたる浪人たちが商家に押し入ったり金品を強請る輩)の市中警備を行いながら、敵方の長州藩士の敗残兵を匿って新選組に命を狙われることもありました。しかし、万吉は自分が信じる義と正義のために戦い続けました。
維新後には慈善事業や社会福祉に力と財産を注ぎ、消防署(北の大組頭取)の運営、授産場、遊園地、浮浪者や生活困窮者への教育・職業訓練などの社会復帰・自立支援。病人や身体障害者の治療・療養施設などなど枚挙にいとまがないほどの功績を残し、大正6年(1917年)8月20日、万吉は遺言も残さず「ほな往てくるでぇ」とだけ言ってこの世を去りました。
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