ボールはともだち、こわくないよ
『キャプテン翼』のあらすじ
天才的なサッカーの才能を持つ少年 大空翼は、転校した南葛小学校で同じく天才的なサッカー少年 若林源三と出会い、ライバルとして切磋琢磨しながら、全国大会を目指します。
翼は南葛小学校を全国優勝に導き、その後、中学、高校、プロと、サッカー選手として成長していきます。
『キャプテン翼』の概要
『キャプテン翼』(Captain Tsubasa)は、昭和58年(1983年)から「小学校・中学校編」、昭和59年(1984年)から「ワールドユース・アジアユース編」、平成13年(2001年)から「ROAD TO 2002編」、2018年には小中学時代のリメイク、2023年にはジュニアユース編のリメイクが放送されています。
覚書
日本サッカーの火付け役
およそ当時の少年の中では『キャプテン翼』を見ていない子のほうが少なかったのではないかと思われるほどの人気作でした。
私はもう大学生であまり熱心ではありませんでしたが、八歳下の従兄弟は『キャプテン翼』に狂い、サッカー部に入りサッカー漬けの生活を送っていました。
日本サッカーの”悲願”
僕らが小学校の頃、当時の日本のサッカー界の”悲願”はワールドカップ出場でした。一筋の光明はストライカー釜本邦茂。
1968年メキシコ五輪で7得点2アシストの全得点に絡む活躍で銅メダルを獲得しましたが、それでも日本のサッカーはWP予選敗退。試合のTV放送もオリンピック以外ではほとんどされませんでした。
後年、釜本さんと仕事で何度かお会いした時にシュートの秘訣を聞いたところ「思いっきりバーン!と蹴ったらゴールに入るねん」とおっしゃっていたのが印象的でした。
’94年に「ワールドカップの関係者証あげよか?」と言ってもらった時には飛び上がるほどうれしかったですが、どうしても都合がつかずに諦めたことが人生最大の悔みです。
今では”悲願”は「出場」から「ベスト8」「ベスト4」そして「いつかは優勝」へと変わりました。私が生きている間にその瞬間を観たいものです。
翼たちが内外の名選手に与えた影響
『キャプテン翼』は現在でもリメイク版が制作・放送されており、内外の有名サッカー選手たちも少なからず影響を受けています。
内田篤人は、大空翼を目標にサッカーを始め、後に日本代表として活躍しました。長友佑都もロベルト本郷を目標にサッカーを始め、岡崎慎司は、松山光のドリブルを参考に、自身のドリブルを磨きました。
海外でも、 サッカー史上最高の選手の1人「ジズー」ジネディーヌ・ジダンや、「真の怪物」と云われたアレ(アレッサンドロ・デルピエロ)、「オズの魔法使い」メスト・エジルなど、多くの有名サッカー選手がキャプテン翼の影響を受けたことを語っています。
ジダンはWOWOWが開設してリーガ・エスパニョーラやプレミアリーグを放送しだした90年代から観だしたので、ユーベの時しレアルで引退するまで追っかけていました。”マルセイユ・ルーレット」懐かしいですね。
デルピエロのプレーは美しくおしゃれでした。
大の親日家で2011の震災の時には2千万円以上の寄付、翌年に被災地域出身の選手たちで開催された『Jリーグ TEAM AS ONE』に参加してくれた時は泣きました。
「オズの魔法使い」「フクロウ」と云われたエジル。そのパスはまさに魔法でした。
敵は止めれず、味方には絶妙で受けやすいMFの鏡。
翼たちに影響を与えたレジェント
皇帝ベッケンバウワーのTシャツ
小学生の時、お気に入りだったTシャツは、緑地に皇帝フランツ・ベッケンバウワーの写真がプリントされたものでした。当時はサッカーの放送などもなく、どんな選手かも知らなかったのですが、なぜか「皇帝ベッケンバウワーのTシャツ」という認識はあり、宝物のようにしていた記憶があります。
みんなで真似したオーバーヘッド
“サッカーの神様”ペレの試合の記憶もほぼないですが、映画「栄光への脱出」(1981)のオーバーヘッドキックは皆で真似しました。
僕らの時代、サッカーの学校対抗戦というのがあって、休み時間などではサッカーの練習をよくやっていました。1校から1チームが出て試合を行うトーナメントで、僕の学校は何年も優勝を続けていました。僕も代表メンバーに選ばれ、右ウィングでサイドラインあたりからかなり長いシュートを決めて絶賛されたのが良い思い出です。
そうそう、休み時間が終わって教室に戻る途中もドリブルしていて、階段でボールを上まで上げようと強めにキックしたところ、階段上の窓ガラスを割ってしまったことがありました。僕は真っ青になりましたがその時の私の担任で選抜チームの監督も兼ねていた先生は、「もっと練習してコントロールをつけろ」と言っただけで怒りもしませんでした。もうお亡くなりになりましたが晩年まで付き合いがあった良い先生でした。
ビデオデッキを買って観たマラドーナ
マラドーナは僕と同世代で身長も168cmで同じ。。彼の活躍を残したいと1986年のワールドカップの直前にビデオデッキを買いに行き、5人抜きと神の手ゴールを何度も何度も見返していました。
フライング・ダッチマン
作者の高橋洋一も私と同世代ですが、上記4人に”フライング・ダッチマン”ヨハン・クライフを加えた5人に特に大きな影響を受け、彼らのプレーを参考にしたと語っています。
キングカズ
『キャプテン翼』を描くにあたっては”キングカズ”三浦知良を大空翼のモデルとしたことが知られています。カズは’93年のJリーグ発足とアメリカWC予選の「ドーハの悲劇」、’97年にワールドカップ初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」でも活躍。日本サッカーの歴史に大きな名を刻み、未だ現役。すごい選手です。
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