ドカベン(1976)【動画】

ドカベン 1970年代のアニメ
ドカベン

南海に入団しなかった山田太郎

『ドカベン』のあらすじ

神奈川県の明訓高校野球部キャッチャーの「ドカベン」こと山田太郎と、同級生でチームメイトのピッチャー里中智、ファーストの岩鬼正美などとともに、高校野球での活躍を描く野球漫画

『ドカベン』の概要

ドカベン』(Dokaben)は、昭和50年(1975年)10月6日から1979年12月26日まで放送された野球アニメです(全163話)

覚書

山田太郎が南海ホークスに入団しなかった理由わけ

水島新司は、南海ホークスに野村克也(当時は監督兼捕手でした)の後継ぎとなる強力なスラッガー捕手を入れたいと思って山田太郎を作り出しました。

明訓高校のユニフォームはまさに南海ホークスの緑のユニフォームでした。しかし、浪商野球部で甲子園で活躍した「ドカベン」香川伸行が南海に入団したことから、水島は描く必要がないと判断して山田太郎のプロ球団入りは見送られました。

当時西武ライオンズにいた清原和博が山田太郎のプロ入りを熱望して山田太郎は西武に入団することになります。

大阪球場の思い出Ⅰ

今は『なんばパークス』となっているところに、かつて大阪球場があり、南海電車に乗っていると試合の様子を垣間見ることもできました。現在もマウンドとホームベースのあった位置にそれぞれを模したプレートがあります。

大阪球場の歴史

一年中滑れるアイススケートリンクやビリヤード場、場外馬券売り場もあり、冬にはスキー用品のバザーなども開かれていました。球場が取り壊されるまではなんと住宅展示場になっていました。

大阪球場の思い出Ⅱ ONが揃った最後の日米野球

私が父に連れられて初めて大阪球場で野球を観たのは、昭和49年(1974年)11月9日の日米野球でした。ニューヨークメッツと南海ホークスと巨人の合同チームの対戦で、結果は6-4でメッツの勝利。長嶋茂雄は10月に引退していましたが日米野球にはON(王貞治・長嶋茂雄)揃って出場していました。私は三塁側の内野席で真正面にサード長嶋の姿があり、あの特徴的な送球を見せてくれたことを覚えています。

社会人になってもちょうど帰り道にあった大阪球場に何度か足を運びました。門田の空振りの音は物凄く球場中に「ブーーン!!」と鋭く聞こえていました。

大阪球場の野次

客が少ない(笑)というのもあり、ヤジはよく聞こえました。

南海VS阪急ヤジ合戦

南海もそうですが近鉄や阪急のヤジはすごかった。香川が出てくると「香川、お前は日ハム行かんかい! 選手とちゃうぞ 商品や!」「香川お前、出番ないやろ。こっちで一緒に豚まん食べよ!」

私が行った試合で印象に残っているのは、日本ハムとの試合。試合前から「なんか東のほうから腐ったハムのにおいがするど~!!」エラーの時は太鼓を打ち鳴らして「やった~ やった~ またやったぁ! 下手へたの○○またやった~! 近鉄電車でよ帰れ!!」と皆で叫ぶわけです。東京のチームでも新幹線では帰してもらえないのです。

そして、勝利のすると「勝ったぁ 勝ったぁ また勝った!! 弱い○○にまた勝った 一杯飲んではよ帰ろ」で〆めます。

甲子園の賑わいも良いのですが、初めて行った時には歓声が大きすぎてヤジの聞こえないのが少し寂しいと思ったものでした。

南海ホークスの球団旗

南海電車の中百舌鳥駅近くに南海ホークスの寮がありました。近くで店を出しており、選手たちにも利用してもらってドカベン香川などもよく来てくれていました。

ホークスがダイエーとなって寮がなくなる時、世話になったからとホークスの球団旗をもらったのですが、後年、私が母に「あれはどうした」と聞くと「熊のぬいぐるみを作った」とのこと。。あ~ぁ。

ドカベン ディスコグラフィ

ドカベンの映像

ドカベン 1975 第1話~第163最終話 Full Movie

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