あしたのジョー(1970)【動画】

あしたのジョー 1970年代のアニメ
あしたのジョー

あしたのために・・・

『あしたのジョー』の概要

『あしたのジョー』(Mouretu Atarou) は、昭和45年(1970年)4月1日から昭和46年(1971年)9月29日まで放映されました。(全79話)

映画 あしたのジョー』実写 1970年 矢吹丈(石橋正次)・力石徹(亀石征一郎)・丹下段平( 辰巳柳太郎)
あしたのジョー2』1980年10月13日 – 1981年8月31日(全47話)
映画 あしたのジョー』実写 2011年 矢吹丈(山下智久)・力石徹(伊勢谷友介)・丹下段平( 香川照之)

『あしたのジョー』のあらすじ

山谷のドヤ街から少年院へ

東京山谷のドヤ街に現われた矢吹丈。地元ヤクザ 鬼姫会から小さな女の子サチを助けて乱闘になり、瞬く間に4人を叩きのめします。

それを見ていた丹下段平は、ジョーにボクサーにならないかと口説きます。ジョーは、団平から小遣いをもらいながら、サチたちを引き連れて詐欺をはたらくなどで金稼ぎをし、警察に逮捕されて少年鑑別所へと送られてしまいます。

あしたのために

鑑別所では、段平から「あしたのためにその1」の書き出しから、左ジャブの打ち方を教えるハガキが届きます。ジョーは団平のしつこさに呆れながらも暇つぶしに練習をしてみると、自分の拳が風を切る音が聞こえ、おもしろくなって練習にはげんでいきます。

鑑別所では、後に親友となるボス 西寛一を覚えたジャブで血まみれにします。

裁判所での判決が下り、ジョーは東光特等少年院へと送られることになります。護送車には西も乗っており、鑑別所とは比べ物にならないリンチを受けると知らされます。

脱走成功まであと一歩のところを力石に阻止される

少年院で過ごし始めたジョーは、豚の暴動を利用して脱走をはかりますが、最大のライバルとなる力石徹が立ちふさがって脱走の邪魔をされ、一発で失神させられます。

力石打倒に燃えたジョーは、団平に「”あしたのために”をじゃんじゃん送ってこい」とハガキを書き、喜んだ団平は対面で指導するべく少年院に乗り込みますが門前払い。たまたま慰問に訪れた白木葉子の助力で少年院全体のボクシング指導をすることになります。

クロスカウンター

団平はジョーに、「あしたのためにその3 クロスカウンター」を伝授します。身を切らせて骨を断つ戦法で、ジョーは昏倒しますが団平も倒れます。

この様子を聞いた力石は、クロスカウンターだと見抜き、牛を相手に特訓を開始します。突進してくる牛をジョーに見立てて迎撃のみに徹して自ら仕掛けていかないことで、クロスカウンターを封じる狙いです。

力石 VS ジョー

力石とジョーの試合が開始されます。力石は「1ラウンド・・じゃねえ、一分間だ。この脳タリンをねむらせるばかりじゃねえ、片輪にするまでの所要時間だ」と言いはなちます。

団平は力石が素人同然のジョーなど、カサにかかって攻め込んでくるものと思ってクロスカウンターを教えましたが、力石が牛を相手に練習したと聞いて、その意味を悟り、審判にフリーノックダウン制へのルール変更を依頼し、力石も承諾します。

ジョーは「クロスカウンターは力石を何回もダウンさせられるほどのパンチか」と聞きますが、団平は、ダウンするのはお前だと言います。

果たして迎撃に徹した力石に、ジョーは手も足も出ず何度もダウンし、立ち上がります。そして、疲労困憊のジョーに力石が止めのストレートを放った瞬間、ジョーのクロスカウンターが炸裂。両者マットに沈むダブルノックダウンとなります。

団平の裏切り ジョーの孤独

団平はジョーに手首のスナップ強化(その4)を教え、ジョーも開墾作業などでも鍬を片手のみで行うなどでひたすら手首を鍛えていきます。

しかし、その後は団平はジョーを無視し、青瓢箪の青山への指導にかかりっきり。青山は徹底的な防御技術を駆使したヒットアウェイ戦法で次々と勝利を重ね、ついにジョーと対戦することになります。ジョーは孤独を味わいながら青山と対戦し、青山の防御を真似ることで、辛くも勝利を収めます。

団平は、ボクシングでは大切だが強いボクサーほど身につかないフットワーク(その5)やディフェンス(その6)、ボクサーの孤独との闘い(その7)を教えるためのものであったことを明かし、ジョーや青山に詫びます。

力石と雨の中の対戦 拳の中の石

いよいよ力石との対戦が近くなったある日。力石の退院が決まり、力石はここで決着をつけようと言い、ジョーも同意します。雨のふりしきる中、力石とジョーは死闘を繰り広げますが、団平たちが割って入り決着はつきませんでした。この時、ジョーはグローブの中に石をにぎっており、団平から厳しく叱責されます。

ジムが開けない?

ジョーにも遂に退院の時がきます。少年院を出たジョーを待っていたのは、団平がボクシングジムを開くためのライセンスが降りず、このままでは団平とともにボクシングができないという現実でした。業を煮やしたジョーは、団平のライセンス認可に反対していた大高会長率いる大高ジムの新鋭 ウルフ金串にケンカを売り、クロスカウンターでウルフをノックアウトします。

これがマスコミの知るところとなり、実力のあるジョーが、プロデビューもできず同ウェイトのウルフと対戦できないのは大高会長が団平にライセンスをおろさないためではないかという疑いをかけます。慌てた大高会長は半ば強引に他の反対を押しのけて、団平にライセンスを交付します。

プロテスト不合格 してやったり矢吹

『丹下拳闘クラブ』が正式に発足し、ジョーと西はプロテストを受けることになります。いきなりB級試験を申し込んだジョーでしたが筆記試験は0点。スパーリングはボクシングエリートの稲垣を相手に打ちまくられ、最後に両手ぶらりのノーガードから隙をついて反撃、リング外まで追いかけてタコ殴りにして勝利を収めますが、後日の結果は「不合格」。

力石は新聞を見て、試験のような枠に収まる矢吹ではない、次は問題なくB級ライセンスに合格するだろうから、自分との対戦も目と鼻の先に迫っていると言います。

ジョーの快進撃 ウルフとの因縁試合は・・

さて、プロデビューしたジョーは、初戦の村瀬武夫をクロスカウンター一発でKO、その後も快進撃を続けますが、ウルフ金串との対戦はなかなか決まりません。

そんなある日、大高ジムからウルフの試合の観戦チケットが届き、試合会場で大高からウルフと対戦し、勝ったほうが8回戦に進むというのはどうかと提案を受けます。

ようやく実現したウルフ金串とジョー。ジョーは壮絶なカウンター合戦を制して勝利を収め、力石と同じ8回戦へ進むことになります。

力石の過酷すぎる減量

力石は、ジョーとの決着のためにフェザー級(126ポンド・57.153kg以下)からバンタム級(118ポンド・53.524kg以下)への減量を開始します。

もともとライト級(135ポンド・63.50Kg以下)でもおかしくない力石の減量は過酷を極めます。水も飲まず一人白木ジムに閉じこもり、熱気うずまくトレーニング室で幽鬼のような形相でひたすらアッパーカットの練習を繰り返します。

ついに力石とジョーは対戦し、激闘の末にジョーは力石のアッパーカットに敗れます。ジョーは、「あそこで止めをアッパーでくるとはな。さすが力石だ、参ったぜ」と笑って力石に言って握手を求め、力石も笑みを浮かべて手を差し出します。しかし、力石の手はジョー手に触れず、そのまま前に倒れ込んで帰らぬ人となります。

ボディしか打てないボクサー

力石を死なせたショックで対戦相手の顔面を打てなくなったジョーは、自滅の敗戦を重ね、ドサ回りのボクサーに身を落としながらも試合を続けます。

しかし、力石の墓参りをし、クラブで遊び狂う葉子やウルフ金串の情けない姿を目の当たりにし、さらに白石ジムが呼び寄せた『無冠の帝王』カーロス・リベラが、ジョーが力石戦後に敗北した相手をラッキーに見せかけた豪打や反則などで次々とKOしていく姿を見てリングへの復帰を決めます。

カーロスのテンプルへクロスカウンター 世界へ

ジョーは白木ジムに乗り込み、白木葉子にカーロスとのスパーリングパートナーとして雇ってくれと言います。葉子は落胆しますが承諾します。ジョーはカーロスとのスパーリングに望み、クロスカウンターをカーロスのテンプルに思いきり打ち込みます。

顔面を打てないという力石の後遺症を乗り越えて復帰を果たし、カーロスとの死闘、精密機械のような東洋太平洋バンタム級チャンピオン 金竜飛、野性味を取り戻すためにジョーが呼んだゴロマキ権藤たち、葉子が用意した野獣ハリマオとの対戦を経て、史上最強と言われる世界チャンピオン ホセ・メンドーサとの闘いに挑んでいきます。

覚書

もう、見所しかないという漫画で、今だに数年ごとには漫画を読み直しています。

丹下段平
丹下段平

ダンペのおっちゃんが好きで、フィギュアのキーホルダーを大事に持っています。

東京に住んでいたときに、いわゆる聖地めぐりもしました。

泪橋(今は川はなく交差点のみですが)、ガスタンク、さまざまな思い出のある玉姫公園、「私、ついていけそうにない」と紀ちゃんが走り去っていった白鬚橋、そして山谷のドヤ街や木賃宿などなど。

もし、ひとつだけ名セリフを上げろと言われたら

金竜飛との対戦前、金が幼少期にほんのわずかな食料のために自分の父親を石で叩き殺し、それ以来食べ物を食べられなかったため、胃が小さいままで減量の必要などない。ボクシングはお遊びだと言われます。

試合が始まり、ジョーは金の圧倒的な技術力と冷徹な目に戦意を失っていきます。「かないっこねぇ」「オレの及ぶ境地じゃねぇ」という反面、「どういうわけかこいつにだけは死んでも負けちゃならねえという、へんな意識」でリングに立ち続けます。

そして、このセリフ。名シーン、名セリフは数あれど”ひとつだけ”と言われればこのセリフを選びます。

「ひとにぎりの食料のために親を殺した金はまだしも水だけはガブのみできたろうが、力石は水さえものめなかった。しかも金は『食えなかった』んだが、力石の場合は自分の意志で『飲まなかった』『食わなかった』。なんのことはねえ、死の寸前の飢えがなにも絶対じゃねえ! 自らすすんで地獄を克服した男がいたんだ。おなじ条件で 人間の尊厳を 男の紋章ってやつを つらぬきとおして死んでいった男をおれは身近に知っていたんじゃねえか!」

力石の告別式とお墓

力石の葬儀は1970年3月24日に講談社講堂で行われました。ちばてつやや梶原一騎をはじめ、ファン700人以上が参列しました。

祭壇と遺影が置かれた会場には青山竜谷寺の僧侶の読経が流れ、お焼香も行われました。戒名は「功徹院清精道観居士」

発案者である寺山修司が弔辞を述べ、尾藤イサオが主題歌を歌い、設置されたリングで模擬試合が行われました。

力石の告別式
力石の告別式
力石の墓
力石の墓

お墓は実際には建てられていませんが、劇中では東京の護国寺に建てられ、ジョーも参拝に訪れています。余談ながら護国寺には梶原一騎も眠っています。
しかし・・↓これは買う人いるんでしょうか・・。

ジョーのモデルは青木勝利

青木勝利
東洋バンタム級タイトル 1962.10.29
米倉健二 VS 青木勝利
世界バンタム級タイトル 1963.4.4
エデル・ジョフレ VS 青木勝利

ジョーは、メガトンパンチといわれた青木勝利。少年院を出て7試合連続KO勝ち、19歳で東洋チャンピオンとなります。

そして、ホセ・メンドーサのモデルと言われる世界バンタム級王者 “黄金のバンタム” エデル・ジョフレとの一戦で破れ、東洋タイトルも失いますが再び奪取。

ファイティング原田(当時世界ランク1位)とタイトル挑戦権をかけた戦いで破れ、その後は振るわず引退。戦績52勝(29KO)14敗4分。

現役中には練習嫌い、試合前逃亡、酒を飲んでリングに上がるなどの逸話は数しれず、上記原田との対戦時も朝まで酒を飲んでいたという。

引退後はたび重なる傷害事件、暴行・窃盗・器物損壊・詐欺(無銭飲食や無賃乗車)・覚醒剤所持で前科7犯、逮捕歴20回。1986年以降は消息が途絶えてしまっています。

力石のモデルは「極真の龍」山崎照朝。減量のモデルはファイティング原田

山崎照朝
” 狂った風車 ” ファイティング原田 世界戦10試合+3

力石のモデルは極真空手の「極真の龍」山崎照朝。

「キックの鬼」沢村忠の30連勝をストップしたカンナンパイ・ソントーンと戦ってみたいと館長大山倍達に頼み、わずか2ヶ月の準備で対戦し、1ラウンド1分33秒左右の前蹴りから右ストレート1発でKO勝利。カンナンパイが「ヤマザキはグローブの中に石を入れている!」と抗議したほど拳は重く硬かったという。

力石の減量については、20Kg以上の減量に苦しんだファイティング原田に、ちばてつや自身が聞き取りをして参考にしています。

あしたのジョー ディスコグラフィ

あしたのジョーの映像

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