「君のためなら死ねる」
『愛と誠』のあらすじ
幼い頃、蓼科高原で覚えたてのスキーを楽しんでいた早乙女財閥の令嬢 早乙女愛は、魔のスロープと言われる急斜面に出てしまい、止まれなくなってしまう。
その時、ふいに現れた太賀誠が愛を助けますが、愛のスキー板で額に大きな傷を負ってしまいます。
中学卒業を間近に控えた愛は友人たちと蓼科でキャンプをしていましたが、不良にからまれたところを額に傷のある男に助けられます。
愛は、幼い頃に自分を助け、自分のために傷を負った誠を自分の通う東京の名門校青葉台高校へ転入させて更生させようとします。しかし、誠は学校の征服を企み愛に阻止されると関東一の不良高校 花園実業へと転校します。
愛と、彼女を愛し陰から支える岩清水弘も花園高校へ転校し、学園を支配する影の大番長 高原由紀、座王権太、砂土谷峻などとの戦いを繰り広げていきます。
『愛と誠』の概要
『愛と誠』は、『週刊少年マガジン』で1973年から1976年まで掲載された漫画で、昭和49年(1974年)7月に実写映画化(主演:西城秀樹 早乙女愛)されて好評を受けたことから同年10月4日から昭和50年(1975年)3月28日まで実写ドラマ(主演:池上季実子 夏夕介)として放送されました。
覚書
鞄を肩にからげて
当時中学生だった私は、誠に影響されて鞄を肩にからげて通学していました。長ラン、ボンタンといった変形制服を着ていた奴もおり、私はそこまで踏み込めなかったですがそいつと仲が良く、たまに帰りが一緒になると肩を並べて歩いていました。
ドラマのほうはほとんど見ていませんでした。漫画の印象が強くて「違う」と思ってしまったんですね。
カシアス・クレイの絵
下のセリフを読んで、私はモハメド・アリ(カシアス・クレイ)のファンになり、自分の部屋にもポスターを貼りたいと思いました。
でも、そんなものはどこにもないので画用紙を10枚ほど買い、この漫画の絵に画用紙分の線を引いて模写して張り合わせました。絵心は無いのですが今までの生涯でも一番良い出来だったとおもうほどで、ずいぶん長いあいだ私の部屋の壁を飾っていました。
「そのため王座を取り上げられての長い空白期間があんたをボクサーとして、もう弦の切れた、音を出さねえギターに変えた…それでもあんたはジョージ・フォアマンっていう若い怪物に挑戦状をたたきつけた。誰が見ても勝ち目のねえケンカ状を!」
「だからよ…だからこそあんたにゃおれの部屋をかざる資格がある!」
キンシャサの奇跡
1974年10月30日。ザイール共和国キンシャサでこのセリフにある試合が行われました。
フォアマンは69年にデビューした25歳。モハメド・アリは32歳。イスラム教に改宗し、白人が奴隷につけた名だとされるカシアス・クレイの名を捨てていました。
フォアマンは73年1月にジョー・フレージャーを2RKOで倒して、WBA・WBC統一チャンピオンになります。
73年9月に日本武道館で行われたホセ・ローマンとの防衛戦は1ラウンドKO、試合開始から10カウントまで1分ほどの試合でした。試合が始まる直前にトイレに行ったリングサイド席の客が戻ってくると試合は既に終わっており、十万円だか二十万円だかのチケット代が小便に消えたという悲しい話もありました。
74年3月にケン・ノートンを2RTKOで葬ったフォアマンは、40戦無敗37KOの戦績でアリ戦を迎えます。
『象をも倒す』メガトンパンチのフォアマンと『蝶のように舞い、蜂のように刺す』アリ。ザイール国民が『アリ・ボマ・イェ』(アリ、奴を殺せ)と歓声を上げる中、試合が始まります。
もう少しだけモハメド・アリとアントニオ猪木の話
昭和51年(1976年)に日本武道館でモハメド・アリは、アントニオ猪木との「格闘技世界一決定戦」に望みました。
1976年(昭和51年)6月26日
アントニオ猪木VSモハメド・アリ
『世紀の大凡戦』『スーパー茶番劇』と云われた試合でしたが、ほとんどのプロレス技を封じられた猪木は寝転んだ状態での「アリキック」しか戦法がなかったのでした。そしてこの試合が異種格闘技、総合格闘技の現在を作った最初の試合でした。
猪木に蹴られ続けたアリの左足は紫色に腫れ上がっていました。膝の裏は血栓症を発症して入院し、予定されていたケン・ノートンとの試合はキャンセル。
その後、アリは自分の結婚式に猪木を招待するなど生涯の友となります。アリは自分がキンシャサで受けた声援『アリ・ボマ・イェ』を猪木にプレゼントし、『猪木・ボマ・イエ』は猪木を象徴するテーマになりました。
聖火台に火を灯すモハメド・アリ
1996年7月19日 アトランタオリンピックでパーキンソン病で苦しんでいたアリが聖火を灯しました。
ローマオリンピックで金メダルを獲ってもレストランにも入れてもらえず、「アメリカを代表して金メダルを取っても黒人差別を受けるのならば、この金メダルには何の価値もない」とメダルをオハイオ川に投げ捨てたアリ。
徴兵拒否でチャンピオンベルトもボクサーライセンスまでも剥奪されたアリ。絶対強者フォアマンを倒し、その後10度の防衛、11度目の防衛戦(78.2)でレオンスピンクスに敗れても、再戦(78.9)で3度目のタイトルを勝ち取ったアリ。そのアリが聖火を灯す姿に、僕は泣きました。
アリは僕の永遠のヒーローでした。アリを教えてくれた『愛と誠』には感謝しかありません。アリは2016年6月4日 74歳、猪木は2022年10月1日 79歳で亡くなりました。さらば英雄たち。
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