マレーの虎(ハリマオ)と呼ばれた義賊 谷豊
『快傑ハリマオ』1960 概要とあらすじ
『快傑ハリマオ』は、昭和35年(1960年)4月5日から昭和36年(1961年)6月27日まで日本テレビ系列で、5部作全65話が放送されました。
東南アジアが欧米諸国の植民地とされていた時代、東南アジアの人々は、白人たちにより奴隷として売買されるような存在だった。
白人による圧制が続く中、白人支配に真っ向から立ち向かい、奴隷解放のために戦う日本人青年 ”ハリマオ”。
白いターバンにサングラスといういでたちで、馬に乗り、部下を従えて、拳銃を武器に民衆の敵と戦う。
大国と結託して民衆に武器を売りつけようとする死の商人の陰謀をくじき、大国の依頼でハリマオ暗殺を目論む秘密結社を滅ぼし、秘密兵器の設計図を狙う悪の組織に立ち向かう。
苦しむ民衆を救うべく、ジャワ、マレー半島から、タイ、香港、モンゴルなど、ハリマオは活躍の場を広げていきます。
第1部 魔の城 (ジャワ島)
第2部 ソロ河の逆襲 (インドネシア)
第3部 アラフラの真珠 (アラフラ海・タイ・香港・カンボジア)
第4部 南蒙の虎 (モンゴル)
第5部 風雲のパゴダ (ビルマ:現ミャンマー)
覚書
ドラマよりも面白い 怪傑ハリマオのモデル谷豊の生涯
少年・青年時代をマレーで過ごす
怪傑ハリマオのモデル、谷豊は、明治44年に福岡で生まれ、2歳の時に家族とともに当時イギリス領だったマレーへ移住。就学時には日本に戻って日本の教育を受け、小学校卒業後の昭和2年(1927年)にマレーに戻ります。
徴兵検査で予備役となり、日本で就職
昭和6年、豊が二十歳の時に徴兵検査のために日本に戻り、丙種合格(予備役)のためそのまま就職して日本で過ごします。
義妹を無残に殺され、マレーへ密航。
昭和8年にマレーで義妹が広西人(中国のチワン族)に殺され、首を持ち去られるという事件が起こり、翌昭和9年に谷一家は日本に引き上げてきます。
義妹のことを聞いた豊は憤慨してマレーへ密航し、友人たちと徒党を組んで主に華僑を襲う盗賊団となります。
マレー半島を転々としながら活動を続けていた豊は、昭和16年にタイ南部のハジャイで逮捕され、地元の刑務所に投獄されます。
太平洋戦争勃発。日本帝国軍が協力を求める
同年12月に太平洋戦争が勃発し、日本帝国軍はマレー半島攻略を第一目標としていました。そこで豊に目が止まり、軍嘱託の神本がタイ警察に保釈金(25バーツ)を支払って獄中の豊を釈放し、軍へ協力するよう説得します。
当初は拒んだ豊でしたが神本の熱意に負け、仲間を呼び寄せて盗賊団を再結成します。
英軍は、タイ国境近くのジットラにある飛行場を守るため、強固な要塞地帯(ジットラ・ライン)を建設しようとしていましたが、豊達の秘密裏な測量や建設現場に潜入して機材を破損するなどの妨害工作を行っため、日本軍はこれを1日で突破することに成功します。
その後も諜報活動に従事し、英軍が撤退する際に仕掛けた爆弾の撤去作業なども行いました。
ハリマオ マラリアに倒る
昭和17年(1942年)、豊はマラリアに罹り倒れます。
「白人の作った薬は飲まない」とキニーネを飲むのを断固として拒否して、現地の伝統良治法であったサイの角を粉末にして飲んでいましたが、自分で立って歩けないほどに悪化してしまいます。
しかし、分けてハリマオは、同君の数奇な運命とこのたびの悲壮な御奉公とを思うとなんとしても病気で殺したくなかった。 敵弾に倒れるなら私もあきらめ切れるけれども、病死させたのではあきらめ切れない。
私は無理なことを神本氏に命じた。「絶対に病死させるな」と
F機関長・藤原岩市少佐の手記より
2月1日、神本は豊をジョホーバル野戦病院に入院させ、さらに2月17日には設備の整ったシンガポール病院に転院させますが、容態は改善せず、昭和17年(1942年)3月17日、豊は息を引き取ります。
豊の死は戦死とされ、福岡の実家に戦死公報が届けられ、靖国神社へ合祀されました。
マレーシアの心を捉えたのは武器ではなくマレーを愛した一人の日本人だった。
豊の死は新聞で報道され、「マレーのハリマオ」「ハリマン王」とよばれて大々的に宣伝され、映画も製作され、英雄として名前が広まっていきます。
戦後にも『快傑ハリマオ』としてドラマ化や漫画連載されましたが、軍国主義のシンボルでもあった英雄「ハリマオ」は徐々に風化してしきます。
しかし、ハリマオは没後半世紀を経て、再び評価されるようになります。
1982年 ハリマオ(伴野朗 カドカワノベルズ)
1988年 マレーの虎 ハリマオ伝説(中野不二男 新潮社)
1989年 英雄伝説-Harimao-(井沢満 角川文庫)
1989年 ハリマオ(松竹映画 監督:和田勉 主演:陣内孝則)
1995年 ルパン三世 ハリマオの財宝を追え!!(アニメ映画)
1996年 神本利男とマレーのハリマオ マレーシアに独立の種をまいた日本人(土生良樹 展転社)
2002年 ハリマオ マレーの虎、六十年後の真実(山本節 大修館書店)
そして、豊が愛したマレーシアでも、1996年に初めて彼をテーマとしたドキュメント番組が組まれました。その番組は次の言葉で締めくくられています。
“イギリス軍も日本軍も武器ではマレーシアの心を捉えられなかった。
心を捉えたのは、マレーを愛した一人の日本人だった。”
『快傑ハリマオ』の映像
快傑ハリマオ 第一回と最終回のオープニング
快傑ハリマオ 最終回 1960
映画 マライの虎 (Full Video)1943年
マレー人が話すハリマオ
日本大好きYoutuber マレーシア人のマストゥラさんが、ハリマオ(谷豊)を紹介してくれています。
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