東宝史上最も美しい物語 モスラ
『モスラ』の概要
『モスラ』は、東宝が昭和36年(1961年)に公開した特撮怪獣映画で、ゴジラ、ラドンと並んで東宝三大怪獣と呼ばれています。
モスラは、東宝映画のみならず少なくとも国内のメディアでは、初めて人間が悪役で怪獣は先進国の悪人に不当に拉致された先住民族(小美人)を助けに来るという設定で描かれています。
また、当時の安保闘争や、米国の犯罪者を日本で裁くことができないなど日米の不平等条約問題も盛り込まれており、当時の時代背景を色濃く写した作品であることも重要な視点としてあげられます。
『モスラ』のあらすじ
水爆実験の無人島で漁船が座礁。救助隊が向かう
水爆実験の行われる無人島のインファント島付近で、超大型台風によって第二玄洋丸が座礁します。
救助隊はインファント島で乗組員を救助し、放射能汚染の検査をしましたが全く異常はなく、不審に思って訊くと、原住民に赤い飲み物を飲ませてもらったと話します。
無人島だと思っていたインファント島に島民がいると聴いたロリシカ国と日本の合同調査隊は、現地調査に向かうことになりました。
放射能に汚染されたはずの島で青々とした緑の森を発見
調査団は島の中間に入っていくと、そこには放射能に汚染されながらも青々とした緑の森が息づく不思議な光景が広がっており、調査隊を驚かせます。
調査を進めるうちに、言語学者の中条は島内にて洞窟を発見します。洞窟には奇妙なカビと共に、未知の言語が刻まれた石碑が鎮座しており、中條はそれを記録に取るも突如吸血植物に襲われてしまいます。
双子の妖精 小美人と原住民
中条が団員たちを呼ぼうと警報を鳴らすと、葉陰から二人の小人の女性が現れて中条を助けます。
翌日、中条たちが小人女性たちの現れた場所に行って警報を鳴らすと、再び小人女性たちが現れ「水爆実験をやめてほしい」と訴えます。ロリシカ国のネルソンらは小人たちを捕えて帰ろうとしますが、原住民に囲まれてやむなく諦めます。
小美人を捕らえて見世物にするネルソン
帰国した一行は、福田が小美人と名付けた妖精や原住民たちのことも話さず、そっとしておこうとしました。
一方、ネルソンは古美術品のブローカーで各地で古美術を盗んで売るなどかなり悪どいことをして金儲けをしており、よい見世物になると企んで再びインファント島に上陸して小美人を捕えます。取り囲んだ原住民たちを射殺し、小美人を日本に連れ帰って観衆の前で歌を歌わせて金を稼ぐようになります。
福田たちはロリシカ国に抗議しますが、調査費用をネルソンの財力に頼っていたロシリカ国はネルソンをかばい、日米地位協定により拒否します。
原住民の祈りとモスラの唄
インファント島では長老をはじめ残った原住民たちがモスラを呼ぶ唄と踊りを踊っていました。小美人たちも見世物になりながらモスラの唄を歌い続けます。
中条と福田はネルソンに頼み込んで、小美人たちと話をします。小美人たちは「あなたたちには悪いが、私たちを助けにモスラがやって来て大きな被害が出るでしょう」と言います。
モスラの誕生。東京を破壊。
かくしてインファント島の卵からモスラの幼虫が生まれ、太平洋を泳ぎながら日本へ向かってきます。自衛隊航空部隊が総攻撃を行い、海に沈み死んだと思われましたが、モスラはダム湖に現れてダムを破壊。横田基地を通って東京を目指します。
やがてモスラは東京に入り、周囲を破壊しながら東京タワーを折り曲げ、折れた東京タワーに寄りかかって繭を作りはじめます。
自衛隊はロリシカ国軍と協力して、繭に原子熱線砲を浴びせます。繭は燃え、一同はこれで仕留めたと喜びます。
ロリシカ軍の全滅。中条の策
一方、ネルソンらは小美人を持ってロリシカ国へ逃亡します。小美人をケースから出すと、二人はモスラの唄を歌い始め、呼応するように繭から成虫になったモスラが現れてロリシカ国へ向けて飛び立ちます。
福田らのもとに、ロリシカ軍がモスラに全滅させられたという情報とともに、小美人と話が出来る中条や福田らにロリシカ国へ来て欲しいという連絡が入ります。
中条は、インファント島の洞窟で見た碑文を空港に大きく書かせ、午後三時に街の鐘を一斉に鳴らすように指示します。中条は、これでモスラが空港に降り立つはずだと言います。
大団円
ロリシカ国では、モスラを呼び寄せて甚大な被害をもたらしたネルソンに抗議が殺到しており、ネルソンに小美人たちを開放するよう迫ります。
ネルソンは逆上して銃を発砲しようしますが、暴動を警戒していた警察官に射殺され、小美人は開放されます。
解放された小美人を伴って空港に着いた中条たちは、午後三時に一斉に鳴った鐘と碑文に惹かれて空港に降り立ったモスラの元に小美人を連れて行きます。
小美人はモスラに乗り、インファント島へと飛び立ちます。
覚書
モスラの歌
モスラと言えばまず思い浮かぶのは「モスラの唄」。神であるモスラに祈りを捧げる唄として、南洋らしい響きと美しすぎるメロディは、現在でも聞くたびに心に染みます。
モスラの唄の歌詞はインドネシア語で作られました。ちなみに、1番の歌詞が島の洞窟の碑文に刻まれていました。
Mothra Ya Mothra
Dengan kesaktian hidupmu
Restuilah doa hamba-hambamu yang rendah
Bangunlah dan tunjukkanlah kesaktianmu
Mothra Ya Mothra
Dengan hidupmu yang gemilang
Lindungilah kami dan jadilah pelindung perdamaian
Mothra Ya Mothra
Perdamaian adalah hanya jadian yang tinggal bagi kami
Yang dapat membawa kami ke kemakmuran yang abadi
モスラよ モスラ
あなたの命の力で卑しい私たちの祈りを祝福してください
どうか立ち上がってあなたの魔法を見せてください
モスラよ モスラ
あなたの輝かしい生涯とともに
私たちを守り、平和の守護者となってください
モスラよモスラ
私たちに残された唯一のものは平和です。
それは私たちを永続的な繁栄に導くことができます。
まずはザ・ピーナッツの歌声です。
エミさんは2012年、ユミさんも2014年に亡くなられましたが、後世に残る歌声を残してくれました。
2番目はコスモス。1992年の『ゴジラvsモスラ』の中で歌われたものです。
3銀目は2003年の『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』の小美人、大塚ちひろ・長澤まさみ。
最後に、三組のアカペラバージョンを聴き比べてみましょう。
それぞれに良さはありますが、やはりザ・ピーナッツの歌唱力・表現力は抜きん出ています。
神々の詩
姫神(HIMEKAMI)の『神々の詩』が、モスラの唄と関係があるかと言えばないのですが、どうも私の頭の中では、かぶる、というかモスラの唄を聞くと神々の詩が聞きたくなるといったふうにつながっています。人々の願いや祈りが感じられてこれも好きな曲です。
歌詞は縄文語で綴られているとのこと。「イネ」が父で「イエ」が母というのは納得です。
♪アパナアガ マポ 私の名前はマポ。
アニノノ ト アヤ ト 祖父と祖母と
イネ ト イエ ト 父と母と
オトシブ イブム 兄(姉)と弟(妹)がいます。
神に、自分と家族の紹介をしているマポの姿が目に浮かびます。「神社で祈るときには自己紹介しなさい」と言われた記憶のある方もいらっしゃるかと思います。
日本の神は八百万の神。お天道様に始まり動植物、建物や道具に至るまで魂が、神が宿っていることを日本人なら知っており、すべてを敬い祈りを捧げます。
モスラが後のメディアに与えた影響
モスラは「人間が悪役」「先住民族への虐待」「土着神と民族の祈り」「神の遣いの出現」など、数え切れないほどのテーマを提供しました。
後のクリエイター達に影響を与えたと思われる作品は膨大にありますが、端的なリスペクトという意味では、なんといってもドラゴンクエスト3のラーミアの卵を守る双子が筆頭でしょう。
「わたしたちは」「わたしたちは」
「たまごを まもっています」「たまごを まもっています」
というセリフは、小美人と同様に2人が同時に喋っているのだろうということは推察できます。
ラーミアに乗って大空を飛んだ時の美しい音楽と、険しく苦しい道のりを見下ろす気持ちよさ、達成感は筆舌に尽くしがたいものがあり、涙が出そうになりました。
もうこれでストーリーは終わったと思いましたが、案外に後も長かったように記憶しています。
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